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4/18(火)

自分のポスターを貼りながら考えていた。

僕のところの陣営で支えてくれている方々は年齢もバラバラで(自分は35歳で同級生の友人を除けば、他の方々は、60代、70代、最年長者は82歳など)、経歴やふだんの暮らし方もそれぞれの趣きのあるもので、多様性に富んでいる。12人の方に力を発揮してもらっている。

それでもポスター貼りとなると、八王子市内全部の掲示板に初日に貼り付けるのは大変で、僕も自転車で八王子全域を貼り付けて回った。

自転車を漕ぎながら考えていた。

自分のポスターにキャッチフレーズとして書いてある、”気づける政治”って、なんだ?

日頃大切にしている考えだから書いたのだが、改めて問いかけられると、この言葉はもっと考えを深められる。

気づける人間でありたいと意識している。日常生活ではそうなれてると思う。

“気づける”とは、不備や不満点に気づき、悪いところをこまめに改善していく行動ができること、だ。

悪いところに気づかないぐらい鈍感なのは良くないが、気づいたとして行動を起こすにはフットワークが軽くないとできず、努力が要る。

努力が欠けていると、気づけない人間、気づかない人間、気づいてるけど見て見ぬフリする人間になりがちだ。僕だって正直、気を抜いてるとそんな人間になってることはある。至らない瞬間は誰だってあるだろうと思う。そうだとしても、気づける人間であろうと努めることが大事なのだ。

日常生活で気づける人間であるから、政治家としても、気づける政治家であり続けたいと志している。

社会の不備や不満に気づき、悪いところを直そうとこまめに行動を起こせるひと。そんな働きのできる人間でありたい。

今日は夕方に駅に立ってご挨拶していた。選挙期間は1週間なので、この期間だけは、騒がしくすることを許していただきたい。選挙ビラを配布するのを手伝ってくれた友人は、今日の方が受け取ってくれるひとが多く、前回より配りやすいと言ってくれた。それでも、骨の折れる作業なので、労力を惜しまず助けてくれる友人には感謝が尽きない。

僕の選挙ビラを受け取ってくれるだけでも嬉しいが、今日は励ましの言葉をかけてくれた男性がいて、もっと頑張ろうという気持ちになれました。”今回は候補者の数が多くとても大変だと思います。私の一票で結果が変わるものではないかもしれませんが、応援しています” そのように言ってくれた。ほぼ初対面の自分に声をかけるのは勇気が要ることだったに違いないので、しっかりと伝えてくれた時はとても嬉しかったです。

時間ギリギリの19:55で切り上げた。

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4/15(土)

TOKYO自民党政経塾という自民党東京都連が主催している政治の学校で2年間勉強していた。とても熱心に講義を受けていた塾生の一人だったと思う。永田町にある自民党本部に通って講義を受けた。塾長である深谷隆司先生の講義から、人前での喋り方、政治の論じ方を学び、塾長代行の小田全宏先生の講義からリーダーシップを学んだ。政治に挑戦する行動ができたのも、政経塾の同期の塾生で何人も政治に初挑戦していく姿をみて、背中を押されたのが大きい。ふつうに政治に関わる人たちを見たり、知り合いや友人になった経験が、僕の人生の転換点になったことは間違いない。

それまで僕は自民党関係者と知り合いだったことはない。政治を大学で学んだが、実際の議会や政治家との関わりはなかった。昨年の参院選で自民党公認候補の生稲あきこさんの選挙をお手伝いしたが、政経塾でお手伝いを募集していた板橋区の下村博文事務所の紹介で僕は参加している。今でも八王子の自民党関係者の知り合いはいない。

なぜ、自民党とつきあいのなかった僕が自民党政経塾に入ったのか?それは八王子で市会議員をしていたある政治家のプロフィールに、自民党政経塾を卒業した、と記載されているのを市議選などの選挙公報やウェブサイトで見て、こんな学校があるのかと知っていたからだ。彼のプロフィールを見てなければ、自民党政経塾の存在を間違いなく知らなかったと思う。自民党と関わりがないのだから。

人間や社会というのはどこかで繋がっていて、私たちは日々身近でもなんでもない所からの情報に影響されながら生きている。勇気をもって行動している人のふるまいから、誰かがより頑張って生きる糸口をみつける。僕などは間違いなく、その政治家の生き様から影響を受けて、頑張れるようになった。八王子の一市民という間柄の僕にさえ想いは届いていた。

残念ながらその方は去年、志半ばで亡くなられた。非常にショックで、八王子中が悲しみに包まれていた。父が町会関係で呼ばれていて、お供としてお葬式に参加したが、たくさんのひとが来ていた。

僕はその方と直接お会いしたことはなかった。都議選に出た時も僕はお手伝いはしてなかった。こうなってしまったあとで、心の支えにしていたのに、何もしてあげられなかったことが悔やまれる。父から譲ってもらったものだが、名刺入れにその方の名刺をお守りとしていつも忍ばせている。