僕の分は悪い。今回は誰が見ても同じ意見をもつだろう。新人での挑戦、かつ政党のバックアップもなく、ほぼ自分だけで用意できる範囲で臨んでいる。1年前には挑戦することを決めてはいたが、いや、もうずっと前10年以上前から、いつかは挑戦するだろうと見越して出会う人たちに誠実に関わってきた。それでも実際の準備を経験してみると、その助走期間に成果につながる具体的な行動があったと思えるかは、心もとない。助走期間にしかできない輝きがあったと自己弁護はしておく。
分は悪くても、悪いなりに戦うやり方はある。ほんとにあと少しなのだ。勝つか負けるかの差は、ささいなもの。もうあと少し頑張れば、悪い分をひっくり返して、結末が変わるかもしれない。
2年も前から政治を勉強し直して、長い目でだが準備してきた僕にとっては、告示日から始まる挑戦は、クライマックスのような、ごく短い期間に感じる。結果が良いか悪いかに限らず、僕の本当の政治活動をここから始める。やりたいことを始められるきっかけになるなら、どんな結果もかわいいものだ。
廃業銭湯を引き継いだ病院の記事だ
https://www.sankei.com/article/20230414-YWB3NUSWIVPZLDVNTZFQINJ4BM/
病院の理事長が、高齢者を孤立させず、銭湯を地域の交流の場にしたいという考えから経営を引き継いだ。高齢者の孤立が地域の課題とはっきり言っている。
住民を孤立させないという観点から、入浴施設を存続させたという話だ。
改修工事に数千万円、ランニングコストなどを考慮しても、地域住民のために銭湯を残す決断をした。
交流の場は色々あるが、入浴施設も交流の場になりえる。入浴の意味合いは、サービスを受けて気分がいいというだけではなく、そこが交流の場になったり、人間らしい最低限の生活習慣でもある。